「大岡裁き」
助居益太
享保三年(一七一八)の早春、小春日和の日差しの中で、大岡忠相は南町奉行就任後の一年を振り返っていた。町奉行の職務は激務であり、非番の月でも訴訟は受け付けぬものの当番月の訴訟関係の調べ物等、仕事は山積していた。気の休まる事の無かった日々を振り返り、よく今まで耐えられたものだと自嘲気味に自分を慰めていた。
 今日の裁きは軽微な罪の女の初対決(一通吟味)であった。死罪を申し渡すような裁きに比べて軽微な罪(中追放以下の刑)は専決が許されており、老中への伺いは必要なかった。忠相にとっては久しぶりに扱う気楽な裁きであった。本格的な吟味は、吟味与力によって行われるので、訴えの内容もほとんど耳に入っていなかった。ぽかぽかと暖かい日差しの中で町年寄りや訴え出た男の口がパクパクと動いているのが霞がかかったように見えるだけである。訴えている者から見れば、忠相は半眼の状態で威厳を保って、じっくりと話を聞いているように見えたであろう。実態はほとんど寝ていたような状態であった。
しかしこの裁きが後に云う「大岡裁き」の評判になるとは、当の忠相もこの時点では知る由もなかった。
訴えの内容は、夜鷹をしていた女が先金を取っておきながら何もせずに逃げてしまった事を男が訴え出ていたのである。支払った金は当時の夜鷹を買う相場の半分、十二文であった。夜鷹は公認の娼婦ではないので、女にも、それを買おうとした男にも弱みがあったが、当時は男尊女卑の世の中、町で捕まえた女を町年寄りと共に訴え出たのである。
忠相にとって男たちの訴えはどうでもよかった。眠気の方が先に立って、ややもすれば居眠りをしそうになるのをかろうじて堪えていた。眠気を堪えながら、先ほどより、顔を伏せた女のうなじを眺めていた。夜に徘徊する夜鷹の割には浅黒く日に焼けていた。夜鷹と云うより健康な百姓女という感じであった。
神妙にかしこまって、両手をついて顔を伏せていた。忠相はこの女がどのように装って夜鷹の生業をしているのか興味がわいてきた。 「女、面をあげい」忠相の突然の発声に、その場にいた、吟味与力はじめ訴え出ていた者も、あっと驚き、一瞬、異様な雰囲気が漂った。ここで一番驚いたのは当の忠相であったかも知れない。なぜ唐突に発言してしまったのか自分でも判らなかった。今までの眠気は吹っ飛んでしまった。側にいる吟味与力たちのいぶかしげな視線が肌に突き刺さるように感じた。女は目を点のようにして忠相を見上げていた。
その場の全員が忠相が次に何を言うかじっと待っていた。我に返った忠相は改めて女の顔をよく見た。肌は浅黒いが、健康的で艶々と輝いていた。この様な純朴そうな女が何故夜鷹などになったのか?。下調べの報告では、近郷の百姓の娘であったが、貧しさから夜鷹になって、家計を助けているとのことであった。
「女、もらった金はいかが致した」
「へい、病気の父親に薬草を買ってやりました、とても足りませんが・・・」
「うむ、親孝行じゃの」
「どうかお目こぼし下さいますようお願い申します」
忠相は暫く思案した後、側にいる吟味与力を手招きし、何事か耳打ちした。与力はかしこまって礼をし、席を外した。
「本日は初対決につき、吟味のみに留まるところであるが、罪が軽微故、即刻判決を言い渡す。かしこまって聞けい」
「ははー」
「訴え出でたる男、お上公認の遊郭があるにも拘わらず、認めざる夜鷹を買うとは不届きである。しかもわずか十二文(当時米一升八十文)の金で女をモノにしようなどとは笑止千万、今後この様なことの無きよう、きっと叱り置く。尚十二文は儂が支払ってつかわすゆえ、この訴えはとりさげるようにいたせ」 「ははー」
「女、父親の病気のためとはいえ夜鷹になるとはお上を恐れぬ不届きな行いじゃ。本来ならば百叩きの刑に処するところであるが、身体を傷めては父親の看病にも差し支えるであろう。温情を持って放免してやりたいところじゃが、そうもいかぬ。今後同じ罪を犯さぬようお天道様を仰いでよく反省致せ。ひったてい」
「ははー」
「これにて一件落着ー」
女は小役人に引き立てられ、奉行所の裏庭に置かれている将棋台の上に仰向けに縛り付けられた。腰巻きをはぎ取られ、両足を大きく開くように片足ずつ台の両端にくくり付けられた。この様な仕置きは今まで無かったことなので、小役人は指示を与えた与力に聞いてみた。
「儂もお奉行に言われたとおりにおまえたちに指示をしただけじゃ。後日伺っておくから要らぬ詮索はするでないぞ。それから日が陰れば放免してやれとのことじゃ。」
「ははー」
与力が口止めをしたとはいえ、小役人の間ではこの度の仕置きの仕方が噂になっていた。こっそりのぞき見た者は、女の女陰がどうのこうのと、自慢げに話していた。
それから幾らも日を経ぬある日、忠相の書院で吟味与力が話を聞いていた。
「お奉行、この度の仕置きは何故あの様になさったのですか?」
「うむ、判らぬか。あの女は根っからの夜鷹ではない。健康そうな身体もしておる。この女なら十分反省させれば、もう道を踏み外すまいと思ったのじゃ。それに「どうかお目こぼし下さいますよう」と云っておったじゃろう。」
「はー・・・」
「まだ判らぬのか。お目こぼし、オメコ干しじゃよ」
この判決を契機に後の、三方一両損などの逸話が出来たのである。
おわり
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