「釈迦再臨
                                  助居益太

 釈迦は生まれた時に三歩前へ歩み出でて、天と地を指さし「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えら
れている。科学的にそのような事があるはずがないが文献に依れば日本でも明治三年に生まれたての
赤子が話したという記録がある。特殊な子供故、三日後には亡くなってしまったが、今年の夏の暑い
最中に九州で生まれた赤子は秋口になった今でも元気に育っているらしい。もちろんこの赤子も生ま
れた時から大人の言葉を喋るのである。
母親は所謂未婚の母で、付き合っていたような男がいないので、近所の噂では処女懐胎だとか、夢の
中にお釈迦様が出てきてそれから妊娠したので赤子はお釈迦様の再臨ではないかなどと、まことしや
かに言われていた。当の母親は相手の男は誰なのか聞かれてもただ微笑んで答えようとはしなかった。
出産した産院では非常に珍しい例なので九州大学の霊長類研究をしている教授たちが産院に泊まり込
み調査をしていた。
 最初の内は母親が腹話術で喋ったのではないかと疑っていたが、(実際最初は腹話術のようにくぐ
もった発音だった)日が経つにつれ赤子の発音が明瞭な大人の物になってきて教授たちの質問にもは
っきりと答え出すと驚愕と共に研究対象としての貴重さに改めてスタッフを増強したのである。
心電計は言うに及ばず、脳波測定器、ポリグラフ、MRI、他研究に必要なありとあらゆる機材が産院
に持ち込まれた。
 質聞はまず母親から始められた。教授たちが一番知りたかったことは相手の男が誰であるかという
ことであったが、母親はテレビや新聞で取り上げられ大事になってしまった所為か、どうしても相手
が誰なのか、否、そうした交渉があったかどうかすら話さなかった。又周辺の関係者に聞いてもそれ
らしき男の存在は確認できなかった。そうしたことが余計に赤子の出生を神秘的なものにしていった。
産院の周辺には取材の報道陣や新興宗教団体関係者が取り巻いていた。産院に向かって手を合わせ拝
む者がいれば、「悪魔の申し子は抹殺せねばならぬと」手を振り上げつばを飛ばしながら演説する者
もいた。
そうした外部に比べて産院の中は警察の警備により平静が保たれていた。母親の健康状態のチェック
から、赤子の各器官の検査等細かな調査が進められていた。
 母子ともに身体的には全く異常は認められなかった。ただ赤子が喋ること以外は。教授たちは肉体
的な検査ではなにも解明できないことを痛感した。その後の調査方法は赤子に質問することで解明で
きるのではないかと言うことになりその準備が進められた。
質問を意識させないように録音機材などは極力めだたないように配置し、日常会話のような形で行わ
れた。以下はその質問と赤子の答えである。
教授「今日は、気分はどうですか?」
赤子「少し眠いくらいで、快調です」
教授「貴方は生まれた時に(取り上げてくれてありがとう)と言ったそうですがおぼえていますか?」
赤子「ああ、よく覚えています、出てくる時に苦しかったもので助けて貰ったお礼を言ったのです」
教授「生まれ出た時に最初に感じたことは何ですか?」
赤子「蒸し暑いなと感じました」
教授「お母さんのおなかの中にいた時はどうでしたか?」
赤子「母の胎内はいつも秋のように爽やかでした」
教授「おなかの中でどうして秋の季節だと思ったのですか?」
赤子「それは、しょっちゅう松茸が生えてきていたからです」
                                                                  おわり

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