「珍説龍野物語」
                                                                                 助居益太
柳田国男の「遠野物語」は格調高き文学にて、遠野地方の伝承をまとめし物なれど、我が龍野にも僅かながら伝わる奇談有り。
 この話はすべて龍野の人、鵜園八百(やもも)君より聞きたり。我が茶店に折々訪ね来たり、この話をせられしを筆記せしなり。
八百君は話し上手にはあらざれども誠実な人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。
龍野は昔、立野(たちの)と言えり。
土師の野見の宿弥(すくね)が出雲の国より来たり。日下部野に宿りしが、病を得、死す。その時出雲の衆数多(あまた)来たりて川の小石を運び墓の山を造れり。それより立野という。
 龍野は城下町なり。町の背後に鶏籠山という山有り。字の如く、鶏駕籠を伏せたる姿なり。山頂に砦跡有り。今は荒れ果て狐狸妖怪の出(いずる)ごとき有様なり。
 この山の西方に的場山あり。龍野で一番高き山なり。地の人はこれを台山と呼べり。台の字の如き姿なり。この中腹に野見の宿弥の墓有り、これは近代に造りし物なり。
鶏籠山の東に揖保川が流れり。水量豊かなる清流にて、夏は鮎漁盛んなり。
揖保川の水と、播磨平野に産する大豆、小麦等と、赤穂の塩により、醤油造りが地場産業として今に続きおれり。
揖保川のさらに東方に林田川有り。さらに東に笹山という小高き山有り。中腹に女の女陰(ほと)に似たる奇岩有り。
巨大なる一塊の岩なり。女明神と呼べり。東の尾根には男明神有り。これは荒々しき姿なれど陽物には見えず。
 女明神より百メートルばかり上の岩に鬼の足跡有り。五、六十センチの足形にてジャイアント馬場もこれには及ぶこと能(あた)わず。南西の片吹山にも同じ足跡有り。笹山と片吹山を跨ぎて、鬼が小便をせしところ、それが林田川になれり。
 女明神と男明神の山裾に昔「円勝寺」なる寺有り。その寺に吾助なる男、寺男として住めり、三十半ばの愚鈍なるも心優しき男なり。赤子の頃寺の門前に捨てられおりしを拾われたり。まだ独り身にて居れり。
寺には数名の学僧居れり、名を珍念、芳念、快念、何某と言えり。常に吾助を馬鹿にすれども吾助いつも笑いて苦にせず。
寺の裏山に狸が二匹棲めり。夫婦狸なり。学僧達、住職の不在に狸汁にせんとて罠を仕掛けたり。牡狸は罠に気づき逃げおおせしが、牝は捕らわれたり。吾助不憫に思い、学僧達が気づく前に放てり。
その夜住職帰りたり。予定より数日早き帰庵なり。また若き尼を連れ帰りたり。美しき尼なれど、片足悪く杖をつけり。
住職、一同を本堂に集め尼を引き合わせたり。
「本日よりしばらくの間妙心尼殿にお泊まり頂く。妙心尼殿はさる高貴なお方の奥方であられたが主人亡き後佛門に入られた。今宵より観音堂にてお休み頂く。失礼の無きよう心得よ。尚お世話は吾助一人で致すように」
 尼とはいえうら若き女性(にょしょう)の出現に学僧達は浮き足立てり。住職、修業のためと称し、学僧達に笹山回峰行を課せり。回峰行とは男明神と女明神を夜を徹して駆けめぐるものなり。若い学僧が間違いを犯さぬよう、住職の配慮なり。
夕餉の後、学僧ども松明を持ちて回峰行に掛かりたり。
初めは、皆揃いておりしも数回廻りし頃よりばらばらになれり。
 珍念、女明神にさしかかりしおり、一天にわかにかき曇り、雷鳴轟き大粒の雨降れり。雨宿りせんとて女明神の窪に入れり。雨益々激しく瀧の如く降れり。窪の奥に洞窟有り。今まで知らざる穴なり。珍念怪しみたれど中に入りぬ。中は岩襞多くぬらぬらと滑(ぬめ)り光りたり。又、乳の腐りたるような臭気充満し、息も出来ず。
雨も小やみになりたれば穴の外に出んとす。穴より顔を出し天を見上げれば月明かりに天高く聳ゆる大鬼、珍念を見下ろしけり。片足は片吹山に掛けり。されば先ほどの雷鳴は鬼が放(ひ)りし屁なり。雨は放尿の飛沫なり。
鬼、一物のしずくをふるいければバケツ程の尿(いばり)落ちけり。珍念、余りの恐ろしさに穴より出るに出られず竦みたり。
鬼、一物を手で扱(しご)きはじめれば忽ち怒張し、その影で辺りは暗闇となれり。又、一物を擦る音蒸気機関車の如き轟音なり。珍念、暗闇に慣れし目で見れば、巨大なる松茸近づきたり。洞窟より出る間もなく迫り来たり。
穴の奥へ逃げ込めど、さらに入り来たり。
洞窟の岩襞、滑(ぬめ)り溢れんばかりなり。さてはこの洞窟牝鬼の女陰(ほと)なりや。
珍念、進退窮まりこれまでと念仏を唱えたり。
「朝(あした)に紅顔ありて夕べに白骨となれり。穴かしこ」

page2へ

小説に戻る

HOME