ある一見の女性客が来たときの事である。見かけは四十半ば、マスター好みの色っぽい女
性である。「ここに座らせていただくわ」とカウンター席に座る。そこにに座る客は常連ぐ
らいしかいないので、何か訳ありだなとマスターは感じた。
 「キリマンジャロをブラックでお願いします」と注文。マスターはコーヒーに凝っている
のでこんな客に感激する。ドリップで入れるので、時間がかかるが「美味しいコーヒーを飲
んでもらうための時間や」と客を待たせることなど何とも思っていない。真剣に湯を注ぎな
がらも、女を観察している。黒いスーツの似合う、なかなか好い女だ。胸元に見える谷間で
豊満な乳房が窺える。
(何か相談事だろうか?、それとも口説きに来たのだろうか?、いや、今日初めてだから、
口説きではないだろう。憂いのある顔をしているので、何か悩みがあるのだろう。
こちらから聞いてやった方がいいだろうか、向こうから話してくるのを待った方がいいだろ
うか。)と気が気ではない。
 入れ終わったコーヒーの温度を計って、適温で出す。「お待たせしました」「ありがとう」
とにっこり笑った顔が、何とも色っぽい。物思いに耽りながら飲んでいたが、暫くすると、
怖ず怖ずと声をかけてきた。
 「あのー」「はい、何でしょう?」
「お手洗いはどちら?」「・・・、ああ、入り口の横です」
 (まだ言い出しにくいのだろうか?、トイレから出てきたときに話し出すのかもしれない)
洗った食器を拭きながら、さりげなく装っていた。
席に戻って、残りのコーヒーを飲み終わると、女が話しかけてきた。
 「爬虫類がたくさんいるんですね」
 「ええ、まー、いろいろ」
 「私、苦手なんです。それで、ここへ座らせてもらったの。コーヒー美味しかったわ。
おいくら?」
 「・・・、あー、四百円です」
 「じゃ、これで」
 「ありがとうございました」
見送った後、ぐったり疲れてしまうマスターであった。

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